久しぶりに強いバルセロナを目にした。
多くの人がそう思ったことだろう。
欧州CLのマンチェスター・シティ戦を見ていて、かつてバルサが相手を圧倒した頃の記憶が蘇ってきた。
数年前、カンプノウを訪れるたびに目にしていたのは、どこまでも完成度の高いバルセロナの姿だった。
サッカーには色々なスタイルがあり、当時のバルサはサッカーというスポーツにおけるひとつの完成形、あるいはそれに極めて近い究極の形だった。
70%をこえるポゼッションの中、パスは永遠のように繋がり、相手はほとんどボールに触ることすらできなかった。
当時バルサを止めようとかかってきたレアル・マドリードも、マンチェスター・ユナイテッドも、相手にすらならなかった。
ピッチには90分間首を振り続けながらテンポよくパスを展開するシャビがいた。
バレエダンサーみたいに優雅なイニエスタがいて、全盛期のメッシがいた。
しかし何事においてもそうだけれど、栄光というものは永遠には続かない。
ここ2~3年は、絶頂期にあったバルサのサッカーも低迷。
近年のカンプノウの観客数減少と、それは無関係とはいえないだろう。
しかし2月24日のマンチェスターで、45分間ではあったが、人々は再び強いバルサを久しぶりに目撃する。
3年という時間が、シャビから「自信」を奪った。
だけど、ピッチにシャビの姿はなかった。
3年という時間はシャビの頭脳からは何も奪わなかったけれど(今でもシンキングスピードはチーム1だ)、
アジリティやスピードなど肉体的数値が低下し、それに伴いいくばくかの自信を奪った。
今季の出場時間は、特にビッグゲームに限れば随分と少ない。
そんなシャビのポジションにいたのが、かつては“虚構の9番”として世界を席巻したメッシだ。
シティ戦のメッシのプレーゾーンを見ると、シャビの居場所である中盤中央から右にかけてのエリアに見事に重なってしまっている。
以前も低い位置でプレーすることはあったけれど、今では攻撃のスイッチ役、つまり起点にまでなっているのだ。
崩しのスタートが、シャビからメッシに移行しつつあるのだ。
http://number.bunshun.jp/articles/-/822804
2015/02/28 10:50
多くの人がそう思ったことだろう。
欧州CLのマンチェスター・シティ戦を見ていて、かつてバルサが相手を圧倒した頃の記憶が蘇ってきた。
数年前、カンプノウを訪れるたびに目にしていたのは、どこまでも完成度の高いバルセロナの姿だった。
サッカーには色々なスタイルがあり、当時のバルサはサッカーというスポーツにおけるひとつの完成形、あるいはそれに極めて近い究極の形だった。
70%をこえるポゼッションの中、パスは永遠のように繋がり、相手はほとんどボールに触ることすらできなかった。
当時バルサを止めようとかかってきたレアル・マドリードも、マンチェスター・ユナイテッドも、相手にすらならなかった。
ピッチには90分間首を振り続けながらテンポよくパスを展開するシャビがいた。
バレエダンサーみたいに優雅なイニエスタがいて、全盛期のメッシがいた。
しかし何事においてもそうだけれど、栄光というものは永遠には続かない。
ここ2~3年は、絶頂期にあったバルサのサッカーも低迷。
近年のカンプノウの観客数減少と、それは無関係とはいえないだろう。
しかし2月24日のマンチェスターで、45分間ではあったが、人々は再び強いバルサを久しぶりに目撃する。
3年という時間が、シャビから「自信」を奪った。
だけど、ピッチにシャビの姿はなかった。
3年という時間はシャビの頭脳からは何も奪わなかったけれど(今でもシンキングスピードはチーム1だ)、
アジリティやスピードなど肉体的数値が低下し、それに伴いいくばくかの自信を奪った。
今季の出場時間は、特にビッグゲームに限れば随分と少ない。
そんなシャビのポジションにいたのが、かつては“虚構の9番”として世界を席巻したメッシだ。
シティ戦のメッシのプレーゾーンを見ると、シャビの居場所である中盤中央から右にかけてのエリアに見事に重なってしまっている。
以前も低い位置でプレーすることはあったけれど、今では攻撃のスイッチ役、つまり起点にまでなっているのだ。
崩しのスタートが、シャビからメッシに移行しつつあるのだ。
http://number.bunshun.jp/articles/-/822804
2015/02/28 10:50
続きを読む